怪物

わたしが一番しんどいときに救ってくれた薬が音もなく効かなくなってしまった。こういうことはそこそこあるらしい。本当に助けられていたので、効かなくなってからだんだん気分が落ち込んで、そういった症状が現れ、死んで楽になりたいとしか考えられないほどわたしを苦しめた。医者に話すと「きっとその薬が再び効くことはない。役目を終えた。新しい薬でようすを見ていこう」と言った。役目を終えたのか、と思うと少しだけ涙が滲んだ。今年はそういった別れが多かったので、どれだけ深い関係性になろうとも、こういったものはなんにせよ訪れてしまうものなのかと寂しくなった。

新しい薬を25ミリ服用すると、みるみるうちに憑きもののようだった苦しみが取れて、わたしは極端にハイになってしまった。世界が美しく見えた。汚いものすら愛せる気がした。大切なみんなをこの手で救えるように思えた。わたしがいる。だいじょうぶ。なんとかする。絶対に。そういった確信で満ちていた。快楽だった。きっとこんなに元気では後々ひどい目に遭うという観念だけはぼんやり理解していたけれど、それがどのように苦しかったのかまったく思い出せず、わたしはひたすら会う人間、すべてのひとと快楽を共有しようと思った。押し売りだった。質の悪い態度になってしまっていた。

おかしいよ、と言われた。恋人と妹の言葉だった。ふたりはわたしを怪物を見るような目で見ていた。実際ふたりは努めて平常心を保ってくれていただけだったんだけども。おかしかったのはまぎれもなくわたしだった。けれどどうしたらいいものかわからず、黙りこむか騒ぎ立てるかのどちらかしかできず、自分で自分の状態をコントロールできないのだと気づいたとき、あ、本当にいまのわたしはおかしいのかも、と思えた。

わたしは恋人と妹を信じることにした。ふたりがそう言うのなら、あなたたちがわたしを想ってなだめてくれているのなら、それに従おう、それに応えようと思った。まずは睡眠導入剤を飲んできちんと眠り、起きた瞬間から歌ったり踊ったりすることを控え、できる限り冷静であろうとした。けれど決して楽しい作業ではないので、何度も妹にこんなんでいいの? 楽しい? と聞いた。そんくらいがいいよと妹は言った。それを信じようと思った。そうしていまに至り、なにか書いておいたほうがいいのかもしれないとひらめき、記事を書いている。

よくここまで書けたなと我ながら感心する。死ぬまでこんな症状と付き合わなきゃいけないのかという絶望を少しばかり感じながら、それでも、それでも、生きているのだ。生きることを求められているのだ。いつまでかはわからない。そういうものなのだ。